
武蔵村山市の野山北公園の一画に、六地蔵という石碑がある。見晴らしの良い高台にぽつんと建てられているので、たまたまここを訪れた人にとっては「これは何?」という印象だろう。
石碑の背面には碑文が書かれ、残りの3面に2体づつ地蔵尊が浮き彫りにされている。
明治30年に現在の武蔵村山の地域一帯で赤痢が大流行し、多くの犠牲者が出たそうだ。それを弔い供養する目的で建てられた石碑であるという。「そういうことも有ったのだな」という記憶を後々まで伝えるには、石碑というものが似合うように思える。
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大谷 正明(おおたに まさあき)
(有)匠工房 代表取締役 ジュエリー制作のことや私が住む東京都武蔵村山市周辺の地域情報・ホームページ制作 |

武蔵村山市の野山北公園の一画に、六地蔵という石碑がある。見晴らしの良い高台にぽつんと建てられているので、たまたまここを訪れた人にとっては「これは何?」という印象だろう。
石碑の背面には碑文が書かれ、残りの3面に2体づつ地蔵尊が浮き彫りにされている。
明治30年に現在の武蔵村山の地域一帯で赤痢が大流行し、多くの犠牲者が出たそうだ。それを弔い供養する目的で建てられた石碑であるという。「そういうことも有ったのだな」という記憶を後々まで伝えるには、石碑というものが似合うように思える。