
平成2年(1990年)に匠工房を設立して以来、ほとんどの時期で職人希望者の常時募集を続けてきた。職人というのは言わば「勝ち抜け」で、多の中から勝ち残った少数だけが育っていくものだからだ。もともと自分自身に育っていく力が備わっている人が、必然的に選別されて残っていくことになる。今の社会では過酷に思えるだろうが、当然といえば当然だろう。
では、どういう人が勝ち残っていくのだろうか・・つまり職人に向いている人とはどういう人で、職人として生きていきたいと望むならば、どうである必要があるのか。周りの職人・・主に私の先輩に当たる人達を見てみる。真っ先に思いつくことといえば、やはり頭が良いこと・・考える力が優れていることだ。ボヤッとした雰囲気は微塵も無く、シャープな切れ味の良い印象の人が多い・・と言うより、出来る職人は全て同様の雰囲気を持っている。だからなのか、目が鋭い。何と表現すれば良いのか解らないが、目が明るい・・・と言うのも変だが、目が脳に直結しているイメージが浮かぶ(余計に解りにくいかも知れないが)。
見習い職人に対して私が良く使う言葉に「自分の目で見て、自分の頭で考える」というのが有る。特に決めた言葉ではなく「こいつら、どうして・・・」(笑)というもどかしい気持ちから、自然に生まれた言葉だ。自分で見ずに人に見てもらおうとする、自分で考えずに人に考えてもらおうとする。その結果だけを聞きたがる。それでは職人にはなれない。職人は一人で機能するものなのだ。
次に(自分自身そうなので)苦笑と共に思い浮かぶのは、皆一様に負けず嫌いであること。最近はどうも「負けず嫌い」という言葉が誤用されがちなのだが、負けて不貞腐れたり負けそうだと思うと避けるのではなく、負けるのが大っ嫌いだから誰よりも努力するのだ。勝ち好きと言った方が、その性質を言い当てているかも知れない。負けても平気な人は、職人には向かない。
そして、過酷な職人修業を最後まで勝ち抜いてゆくのに必要な条件として、私の場合は単純に「美しいものが好き」というのがある。どんなに辛い思いをしたとしても、出来たものが美しい。ジュエリー制作の最大の魅力だ。「奇麗だな」と思うことが辛さを癒してくれる。だからまた頑張れるのだ。普通にものが作れるようになった後も、結局は「もっと奇麗に」なのだと思う。
知り合いのデザイナーに「汚い作りのものは触りたくない」という人がいる。作りが汚いというのは一般には理解しにくいだろうが、私も同感だ。奇麗なものに素直に感動できること、汚いものを嫌う気持ち、それもジュエリー職人の大事な条件かも知れない。