写真は所沢航空記念公園、休日の午後の風景。
冬の木立の間から低い太陽の光が差し込む。最近のカメラは優秀だから、逆光の写真でも難なく撮れる。ピンボケなのは、もっと手前の人物にオートフォーカスした写真の一部を切り取ったものだからだ。
毎朝6時過ぎには家を出て会社に向かう。最近の朝6時過ぎは、まだ真っ暗だ。地下の工房で1日を過ごし、会社を出る時も日の光は無いから、大概の日は陽光を見ずに1日を送ることになる。モグラ生活もいいところである。
だから休日には思いっきり太陽の光を浴びたくなる。
太陽の光が人間にとって重要なものだということは、実は中学生の頃に実感している。当時、別に苦労談ではなく単純にお金が欲しくて、朝刊配達のアルバイトをしていた。今は知らないが当時で1日200件配達して、一ヶ月で4万円ほどの給料がもらえた。中学生にとっては多すぎる小遣いだろう。しかし何に使ったか、あまり記憶には無い。
学校に行く支度の時間も考えると、朝3時頃には販売店に出掛けなければならない。夏は爽快だが、冬は厳しい。中学生だから、人気の全く無い闇夜に恐怖心も強い。折り込み広告で膨らんだ新聞を自転車の前後に積み込んで、真っ暗な道を走る。いちばん怖いのは人間だということを知ったのも、その時の経験だ。人のいない闇夜も怖いが、人がいるともっと怖い。闇夜にポツンと存在する人間は、何か異質に感じるものなのだ。
唯一の例外は交番だっただろう。新聞は(今は知らないが)交番にも無料で配達する。交番にはこうこうと明かりが灯り、夜勤の警官が明るい元気な声で「お、ごくろうさん」などと声を掛けてくれる。冬の新聞配達で、一番ホッとする瞬間だ。そのせいだろうか、今に至るまで警察官というのが私は好きだ。
暗い道の所々には街灯の明かりが灯る。時には街灯の明かりの下で数秒、自転車を停めることも有る。光を浴びるためだ。しかし街灯は蛍光灯のものが多いから、いまひとつ寒々しく物足りない。古いアパートなどには白熱灯が常夜灯として設置されているところも多く、この白熱灯の光が当たる場所を見付けると、ここで光を浴びながら深呼吸する。実際に白熱灯の熱が伝わるわけではないだろうが、暖かく生き返った気持ちになる。元気が蘇るのだ。
「人間には光が必要なんだな」などと考えながら、残りの新聞を配る。
中学三年になった頃には2歳下の弟も新聞配達を始めたから、一緒に家を出るようになった。違う販売店であったが、多少は心強く感じたものだ。年齢のせいも有っただろう。確か「明かりを浴びる」ことで元気が出ることを弟に教えたようにも思う。
人一倍、光の大切さを実感していながら光と縁遠い日常を送っているわけだが、それはそれで良いのかも知れない。おそらく他の大概の人達よりは、休日の太陽を私は楽しんでいる。私には、それだけで十分に贅沢な時間なのだ。
