パソコンが揺れているなと思って気象協会ホームページを確認すると、やはり地震が有ったようだ。体感的にはいつだって眩暈だか地震だか解らないような状態だから、目に見えるパソコンの揺れが最も信頼できる地震センサーだ。ある程度の大きさの地震だと、気象協会ホームページも一時的に回線がパンクして繋がらなくなる。それはそれで「やはり地震だったんだ」という判断材料にはなる。
首都直下型のマグニチュード7クラスの地震が4年以内に起こる確率は70%だとか・・東大地震研究所が発表したらしい。調べてみると、どうやら単純に統計学的に算出した結果のようだ。地震予知は統計学では出来ないだろうと思いつつも、良い気はしない。どちらにしても日本に住んでいる以上は地震が起こらないということは無いのだ。被害を如何に最小限に留めるかということになるだろう。
昔は地震の時は火を消し、慌てて外へ出ないということが徹底して教育されたように思う。関東大震災の教訓で地震そのものより火事による被害が甚大だったから、先ず火を消すことを行動の一番に掲げたのだ。外へ出てはいけない理由としては、揺れている最中に外へかけ出すと上から屋根瓦が降ってくるからだ。また地割れの怖さについても関東大震災を身をもって経験した人は口を揃えて語る。地面がぱっくりと割れて人を飲み込むと、またすぐに閉じてしまうのだという。恐ろしいことだ。今は降るような屋根瓦のある家は極めて少ないから瓦は降らないだろうが、代わりにビルのガラスが落ちてくるかも知れない。アスファルトで厚く舗装された道路も、地面の割れを防ぐほどの力は無いだろう。
何の確証も無く「大丈夫だろう」と思うのは、実は常に危険にさらされている人間が正常な精神状態で生活できるための防衛的な心の仕組みだ。しかしこの「大丈夫だろう」が時として人を死に追いやる。危険を察知して素早く切り替えが効くように、常にある程度の緊張感は持っていなければいけないということだ。また必要に応じて敏速に反応してくれる身体の維持も大切だろう。思考も動きもスローモーな状態が日常化してしまうと、いざというときに頭脳と肉体の連携が出来ずにパニックを起こしてしまう。
非常識に忙しくジュエリーを作っていた頃も「パニックにならない」という目安・・ボーダーラインは常に意識していたものだ。どうしても身体の動きよりは思考の方が速いから、これが咬み合わなくなるとパニックで何が何だか解らない状態になる。思考の動きを手指の動きの上限にセーブして、パニックにならないギリギリのライン上で作業するのが常だった。異常な仕事だったと今にすれば思うが、当時のジュエリー職人は皆そんなものだっただろう。若い人達が付いてこられなかったのも・・付いて来たがらなかったのも当然といえば当然だ。
時代が流れ、あれがこっちに動き、これがあっちに寄り、そうすることで空白地帯が生まれる。今までも在ったような無かったような、特に意識もしなかった空間がそこかしこに生まれている・・か、初めて意識できるようになったか。一度、一時的に上手く行ったことに気を取られ過ぎていると、あっちに動きこっちに動く空間と共に凝縮されて隅に追いやられてしまうしかないかも知れない。自分がやってきたことなど過去の記憶に過ぎない。その過去に行った経験が今の自分にもたらしている、今も残る僅かなものこそが大切なのだ。それが残っているなら過去の記憶など捨ててしまって構わない。今在る自分をどう使おうか、それを楽しみながら考えれば良いのでは無いだろうか。
売らんがためでは無く、ただ単純に技術という形の無いものを残すために制作することを続けるのも悪くはないなと思い始めている昨今だ。手作りしか制作の方法がない時代と違い、これからは益々手作りの技術を身に付ける人は減るだろう。ただ形を作るなら機械の方が正確に作れるのは言うまでもないが、手と手工具によって物を作るという文化を失わせてはいけないと思う。・・と、地震の話から無理やり引っ張ってみたが、そろそろ掃除と作業台の調整、材料を買いに行って作業台完成までもちこめるかどうか、の一日の始まりだ。